久しぶりに故郷へ戻ってきたのは、友人の葬式に出るためだ。
住んでいるときはそう田舎でもないと思っていたものだが、東京に比べると歩いている人間の量や建物のくたびれた様子が嫌でも目に付いた。
それにしても見るもの見るものが懐かしく、逆に建て替わって新しくなった店や家を見ると、私の頭の中にあるふるさとを書き換えられてしまったような違和感を覚える。勝手に離れて行ったくせに、我ながら勝手なものだ。
私はしばし、帰郷の理由を忘れ、生まれた土地を無邪気な気持ちで楽しんだ。


私が通った中学は駅の近くにあった。
私は時間を確認すると、かつての通学路を通って学校へ向かった。
懐かしい気持ちと共に、私はかつての様にこの町に馴染み切らない自分に気付いた。心なしか、町に色が少なく、灰色に見える。
「あの家には犬がいたっけ」
私は頭の中で、通学路に中学生の自分を歩かせてみた。すると、その隣に同じ制服を着た友達が寄り添っている。

「今日は竹輪持ってきたんだ」
「犬にあげるやつだね」
「絶対、懐かせる」

私が通り過ぎると、子供の私達は消える。
あの頃の私も私には違いないのに、まるで他人のように思えた。何を考えていたか、何が好きだったか。全部知っているはずなのに、きっと心が通じ合わない。そんな気がした。

「あそこのベンチでずっと話してたな…」

試験の前は図書館がいっぱいで、教室に残るのも気が進まず、帰り道のベンチや草むらに適当に座って友達と問題の出し合いをした。

「承久の乱は何年でしょう。また、この乱を起こし隠岐に流されたのは誰でしょう」
「えっと、後鳥羽上皇で、年は……せん…………わかりません」
「答えは1221年でした」

あの頃のようにベンチに腰掛けてみる。
一緒に勉強をして、悩みを打ち明け、同じ部活に入った。いつも側にいたあの子は、一体どんな名前だっただろう。

「時々、何でもないことがとても悲しくなるよ…」
「どんな?」
「頑張って話してるのに聞いてくれなかったり、ちっちゃい約束忘れられたり…」
「うん、分かる気がする」
「たぶん、みんなが酷いんじゃなくて、私の心が弱いんだって思う。こんな事みんなも普通にあるのに、平気だもん」
「そうかなあ」
「きっとそう。でね、いつも思うのが、きっと自分も人におんなじことしてるんだなって事」
「話聞かなかったり、約束忘れたり?」
「うん。疲れてる時とか、めんどくさい時とか。気が付かないうちに誰かの心をぞんざいに扱ってるの」
「仕方ない事じゃないかな…」

繊細な子だった。
色白でおっとりしていて、一見鈍感そうに見える。
誰かに意地の悪い事をいわれても、平気でへらへらと笑っていたので、クラスの皆には少し馬鹿にされていた。
私も、最初はそうだった。

ある時クラスメイト数人で駅前に買い物へ行こうという話になった時、その子にだけ違う場所を教えて、皆で別の場所で待ち合わせた事がある。
ひとしきり遊んだ後、私は一人だけ近くの本屋に用事があり皆と別れる事になった。
ふと見ると、本屋の途中にある大時計の下にその子がいて、私はそこで初めてその子が教えられた嘘の待ち合わせ場所を知った。
ずっと来るはずのない皆を待つその子を、私は不憫だとも思ったが、馬鹿だとも思った。
今までその子の事を、まるでプラスチックのように私たちと違う素材でできた子だと思っていた。
堪えようとして、堪え切れない嗚咽を漏らすその子の顔は、ちゃんと人間だ。
それを見ていて、まるで心のやわらかい部分をおろし金で擦り下ろされているように痛かった。


話してみると、考え過ぎるくらい物を考える子だった。
国語と歴史が得意で、あがり症。
小学生みたいに小さな動物のマスコットの付いた文房具を集めるのが好き。
謙虚で物腰は柔らかいのに、意外と頑固なところがある。
他の人が見逃してしまうような些細な事に良く気がつく。
白くて柔らかい手。
日を受けると少し茶色くなる髪。

仲良くなってから、私はその子と沢山のたわいもない約束をした。

一緒の高校、大学に行こう。
漫画の続きを貸してあげるね。
お揃いの小物を買いに行こう。
大人になったら一緒にお店屋さんを開こう。
一緒に海外旅行をしよう。
ずっと仲良しでいよう。

これらは全て果たされなかった約束だ。
私は不意に不安になる。
もし、もしもその子が、まだこの約束たちを覚えていて、今でもまだ小さく削れながら苦しんでいたら。楽しかった思い出が、その子を苦しめているんだとしたら。

「なんて、そんなはずないけど…」

名前も思い出せない友達。
思い出せない反故になった約束が、まだいっぱいあるだろう。
いつの間にか、葬儀会場の看板が等間隔に貼られていた。
しかし、故人の名は塗り潰されている。
私はたまらなくなって目の前の一本道を歩き出す。
あの子が、またあんな風な堪らない顔で泣いているような気がして、縺れる足で白黒の道を急いだ。

長く続く一本道は、中学校に続いているはずだ。
桜の花弁がどこからか流れてきて、まだそんな季節でもないのに、足元を白く埋め尽くした。
彼女が、私を憶えている道理もない。
これは妄想だ。
自分に言い聞かせても、落ち着かない。




中学校たどり着いた。
桜が満開の校舎は、鯨幕に覆われて喪に服している。
校門は開かれていた。
私は誰もいない校舎を突っ切って、体育館の横を抜け、玄関口まで来た。
丁寧に道順を教える貼り紙が、あの頃の教室まで導いている。


教室の扉は開いていた。
その奥の窓も全開で、灰色のカーテンが大きく空気を含んではためいている。
その奥に、小さな制服姿のあの子が、窓の外を見ている様子が見え隠れした。

私が恐る恐る教室へ入ると、さらさらと何か砂の様な物が落ちてきた。
黒板や天井、扉が少しずつ崩れて灰になっているのだった。
入り口から一歩進むと、その子がゆっくりと振り返った。
白い頬が光っていて、濡れている様に見える。
私は堪らなくなって、その子に駆け寄った。
名前を呼ぼうとして、喉から声がでない。
そうして抱きしめようとしたその瞬間、彼女は灰になって四散した。

教室のカーテンも、教卓も、黒板も、机も、はらはらと砕けていく中、私はただ、自分自身を抱きしめていた。
私の身体は温かく、柔らかい。





「自分の心の、優しい、綺麗な部分だけを人にあげたいって思う」
「それって汚い部分があるってこと?」
「あるよ。いっぱいある。自分で自分を軽蔑しちゃうくらい。だから、大好きな人に、綺麗なとこだけ切り取ってあげたい。こんな考えがもう、傲慢なのかもしれないけど」
「でもさ、人間って不完全だって、だけどそこが良いってなんかで読んだよ」
「……そうかもね。だって、軽蔑するくらい汚いとこがあるのに、私は私の事、嫌いになり切れないんだ」



願わくば、君の上に降り注ぐのが灰ではなく桜の花弁であればいいのにと、切に思う。






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〇九九(後鳥羽院)
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

百人一首アンソロジー さくやこのはな 参加作品
http://sakuyakonohana.nomaki.jp
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